Interview:"へいさんのシヤレードへの想い" 〜With Respect To Y.Respect〜
■個人的には不納得でした…… ――菊花賞以降、しばらく福永騎手が騎乗されましたね…… へい「勝ってませんけどね(笑)」 ――あら、ちょっといじわるな笑いですね(^^; へい「正直、菊花賞と柴田善騎手騎乗で勝ち上がった古都Sを挟んだ鳴尾記念(G3)が、同じ乗り方で負けたんですね。それからちょっと、もう少し前目で乗れるんじゃないのかなぁ、とは思ってました。この時の柴田善騎手の乗り方が記憶に残ってますよ。」 ――なるほど(^^; へい「個人的には、リスペクトって長距離の方が向いていると思っていました。だから、京都大賞典(G2)に出走というのは思惑通りって思っていたんですよ。日経新春杯も3着でしたからね。脚部不安が伝えられていたので、複雑な気持ちでしたが……」
 中京・関ヶ原Sを快勝! 貴重なゴール前の動画。
■ミラクルが始まり。アビリティも重賞を勝った、が…… ――ところで、シヤレードの血統に傾倒していった最初のきっかけがヤマニンミラクルだったというお話でしたが……。 へい「競馬を始めたのは、アイネスフウジンの時代からです。その後、朝日杯3歳S(GI)でミホノブルボンをハナ差まで追いつめたヤマニンミラクルの大ファンになりました。クラシック路線で負けが続いて、この血統特有の”早熟”という流れが作られてしまったんですが、ミラクルは芝の短距離が向いているとずーっと思っていました。ですから現役の最後、コーラルS(OP)で3着等成績が上がってきたときに、ほら、やっぱり! と思いました(笑) 競馬新聞などには気性悪の悪い例として載るのが通例でしたからね」 ――今でもヤマニンミラクルが好きだというファンは多いですよ。あの二冠馬を追いつめたんですから。 へい「そうですよ、もっと認めてあげて欲しい!」 ――でも、残念ながら種牡馬にはなれませんでしたね…… へい「はい。とても残念でした。競馬という世界が少し理解できた時だったんだと思います。でも、だからこそだと思うんですよね。正直諦めていました、ミラクルのことは……。でも、インターネットを始めたときに最初に検索したのがミラクルだったんですが、そのときに宮崎でミラクルが生きていることを知ったときは、本当に、本当に嬉しかったですね! 廃用されていると思っていましたから。嬉しかったです。 ――アビリティにも期待したのでは? へい「もちろん! 当時はまだ競馬のことをあまりよく知らなくて、ああ、全兄弟がいるんだ、ぐらいにしか分かりませんでしたね。ミラクルも勝った京成杯3歳S(G2)は、馬券買いましたよ。残念ながら2着のヒシアマゾンを外して負けましたけどね(^^;」 ――あ、ヒシアマゾンを負かしているんだ。 へい「ヤマニン倶楽部の管理人さんなんですから(^_^)」 ――シツレイしました(^^; へい「骨折してから、こちらは本当に長かったですね。3年以上ぶりに復帰した後も、追いかけましたよ。」 ――私、桶狭間Sの時のゼッケンを持ってます。 へい「あ、いいですね」 ――私も好きですもん、アビリティ。 へい「この時も、長期休養あけで、しかも重賞勝ち馬ってことで話題になりましたよね」 ――はい、とっても! へい「飛騨Sで2着して、仲秋Sを最後に引退してしまいました。1993年デビューで、1997年引退ですから、よく頑張りました。」 ――話題にもなりましたしね。 へい「実は、ミラクルが生存していること、とても嬉しかったんですね。で、アビリティのその後も調べてみたんです。滋賀の乗馬クラブにいると聞いていたのですが、色々と調べてみると……残念ながらその後は行方不明でした。どこにいったのかも知らないということで……」 ――競馬の世界ですね…… へい「はい、本当に厳しい世界なんだと思いました。残念です。無事でいて欲しいと思っています」
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